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ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11)
レイモンド・チャンドラー(村上春樹訳)「The long good bye」の訳者あとがきから、私の好きな文章を抜粋します。
P627
しかし文章を書くことは、猫を愛することと並んで、最後の最後まで彼にとっての「ネイチャー」であり続けた。つまり何はともあれ、彼は自然に書かずにはいられない人格だったのだ。すべての人が生きていくために肺と気管支をつかって呼吸することを必要とするのと同じように、彼は生きていくために鉛筆とタイプライターを用いて文章を書くことを必要とした。そしていやしくも何かを書くからには、たとえそれがどんなものであれーーうまく書かないわけにはいかなかった。うまく文章を書くことは、彼にとっての重要なモラルだった。彼はある手紙のなかにこのように書き記している。
「私は思うのですが、生命を有している文章は、だいたいみぞおちで書かれています。文章を書くことは疲労をもたらし、体力を消耗させるかもしれないという意味あいにおいて激しい労働ですが、意識の尽力という意味あいでは、とても労働とは言えません。作家を職業とするものにとって重要なのは、少なくとも一日に四時間くらいは、書くことの他に何もしないという時間を設定することです。べつに書かなくてもいいのです。もし書く気が起きなかったら、むりに書こうとする必要はありません。窓から外をぼんやり眺めても、逆立ちをしても、床をごろごろのたうちまわってもかまいません。ただ何かを読むとか、手紙を書くとか、雑誌を開くとか、小切手にサインするといったような意図的なことをしてはなりません。書くか、まったく何もしないかのどちらかです。(中略)この方法はうまくいきます。ルールはふたつだけ、とても単純です。(a)むりに書く必要はない(b)ほかのことをしてはいけない。あとのことは勝手になんとでもなっていきます」
彼のいわんとすることは僕にもよく理解できる。職業的作家は日々常に、書くという行為と正面から向き合っていかなくてはならない。たとえ実際には一字も書かなかったとしても、書くという行為にしっかりとみぞおちで結びついている必要があるのだ。それは職業人としての徳義に深くかかわる問題なのだ。おそらく。
上記は「書くこと」についての文章ですが、文筆以外のどんな行為や職業にでも当てはめることができます。何であれ、自分が選んだ世界で一流になるために重要なのは、少なくとも一日に四時間くらいは、そのこと以外に何もしないという時間を設定することです。
続きを読む:レイモンド・チャンドラー(村上春樹訳)「The long good bye」