2012年12月23日

菜根譚の名言「味の濃厚な美酒美肉や、辛いものや甘いものは、ほんとうの味ではない…

味の濃厚な美酒美肉や、辛いものや甘いものは、ほんとうの味ではない。ほんとうの味は、ただ淡白なだけの味である。
これと同じように、すぐれた人や他に抜きん出た人は、ほんとうに道をきわめた人ではない。ほんとうの至人は、ただことさらでない平凡なだけの人である。


菜根譚


菜根譚 (講談社学術文庫)


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2012年12月22日

菜根譚の名言「耳にはいつも聞きづらい忠告を聞き、心にはいつも思い通りにならないことがあったならば…

耳にはいつも聞きづらい忠告を聞き、心にはいつも思い通りにならないことがあったならば、それではじめて人間を徳に進ませ、行いを修めさせることのできる砥石の役割をはたす。
もし言われる言葉がすべて快く聞こえ、物事がすべて心に満足するようなら、自分で自分を猛毒の中に投げ沈めてしまうようなものである。


菜根譚


菜根譚 (講談社学術文庫)
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2012年12月21日

菜根譚の名言「権勢や利益、粉飾や華美というものは、これに近づかない者を潔白な人とし…


権勢や利益、粉飾や華美というものは、これに近づかない者を潔白な人とし、これに近づいても、その弊風に染まらない者を、最も潔白な人とする。


菜根譚


菜根譚 (講談社学術文庫)
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2012年12月20日

菜根譚の名言「真理を自分の住家としてこれを守る者は、ある時は不遇でさびしい境涯になるが…

真理を自分の住家としてこれを守る者は、ある時は不遇でさびしい境涯になるが、権勢によりかかり、おもねりへつらう者は、ある時は栄えても、ついには永遠にさびしくいたましいものである。真理に達した人は、常に世俗を超越したところに真実を見出し、この身が終わっても後の不朽の名声を得ることに心がけている。


菜根譚


菜根譚 (講談社学術文庫)
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2012年12月19日

福田和也「ひと月百冊読み三百枚書く私の方法」


ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法 (PHP文庫)



膨大な量で、しかも質が高いアウトプットを続ける、福田和也氏の知的生産の秘密を知りたくて本書を購入した。

読む前は、膨大な情報を情報収集・整理し知見を得るために、さぞかし洗練された手法を駆使しているのだろうと思っていた。

しかし、本書に紹介されている知的生産の技術は拍子抜けするほどシンプルなものだった。

私が今まで読んだ知的生産術本のなかでも、ずば抜けて最も単純なやりかただと思う。

福田和也氏が情報収集と整理に使うツールは、背広の胸ポケットに入る大きさのメモ帳だけ。一冊のメモ帳に、原稿執筆に必要な情報を集約する。

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王陽明の名言「善も悪もないのが心の本体である…

善も悪もないのが心の本体である。善悪が結果する場が意である。善悪を判断するのが良知である。善を実現し悪を排除することが主客関係を正すということなのである。

王陽明「伝習録」


伝習録―「陽明学」の真髄 (タチバナ教養文庫)

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2012年12月18日

王陽明の名言「孔子の気概はとてつもなく大きい。あらゆる帝王の事業一つ一つにすべてとりくんだが…

孔子の気概はとてつもなく大きい。あらゆる帝王の事業一つ一つにすべてとりくんだが、それもほかならぬ彼自身の主体性にもとづいたものである。大樹にたとえると、たくさんの枝や葉を茂らせているのは、根本を育てる世話をしたから、だから自然にちゃんとこうなったのである。枝や葉を育てる世話をして根本を強くしようとしたのではない。学ぶものが、孔子を学ぶのに、主体性を養う努力をしないで、せきたてられるように孔子の気概を学ぼうとするのは、本末を転倒するものである。


王陽明「伝習録」


伝習録―「陽明学」の真髄 (タチバナ教養文庫)
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2012年12月17日

王陽明の名言「聖人の良知は、雲一つない青空の太陽と同様に全くさえぎられていない…

聖人の良知は、雲一つない青空の太陽と同様に全くさえぎられていない。賢人の良知は、片雲のうかぶ空の太陽同様に一部分がさえぎられている。愚人の良知は、黒雲のたれこめる空の太陽同様にすっかりさえぎられている。このように良知の発現に明暗の違いがあるといっても、ちゃんと黒白を見分けるという点は同じである。真っ暗な夜でも物事に黒白を見分けるのは、それこそ太陽の余光がつきていないからである。苦心して学ぶという努力をするとは、この一点の明るさを基点にしてとくと考察していくことなのである。


王陽明「伝習録」


伝習録―「陽明学」の真髄 (タチバナ教養文庫)
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2012年12月16日

王陽明の名言「美人にほれこむように善行を好み、腐った臭いを嫌うように…

先生はかつていわれた、「美人にほれこむように善行を好み、腐った臭いを嫌うように悪徳を嫌悪できたなら、その人はそれで聖人である」と。

わたしははじめに聞いたときは、いとも簡単なことだと思ったが、あとになって実際に経験してみると、そのように努力することが実際には困難なことがわかった。たとえば、ある一瞬、意識的には善を好み悪を憎むことを自覚していても、無意識のうちにいつのまにか雑念が混じってしまう。雑念が混じってしまうと、もはや、美人にほれこむごとく善行を好み、腐った臭いを嫌うように悪徳を嫌悪するという人間ではない。善行を真実に好むことができるとは、いつも意識が善であるということであり、悪徳を真実に嫌悪できるということは、意識にいつも悪徳がうかばないというこであり、どうしてそれで聖人でないことがあろうか。ただしい学問とは、意識を純一誠実にすることに他ならない。


王陽明「伝習録」


伝習録―「陽明学」の真髄 (タチバナ教養文庫)
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2012年12月15日

王陽明の名言「聖人は、実践主体の本体が本来のままに明白なので、いかなる客体との関係においても…

聖人は、実践主体の本体が本来のままに明白なので、いかなる客体との関係においても、天理のありかたを知っているから、その天理を実現できるのだよ。実践主体の本体が明白になってから、やおら天下の客体との関係についてそのありかたをすべて知り得て、そこではじめて実現できる、というのではないのだよ。


王陽明「伝習録」


伝習録―「陽明学」の真髄 (タチバナ教養文庫)
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