2010年10月02日

ポンド危機/ブラックウェンズデー(1992年)

この記事は「予備知識無しでもよく分かる経済解説」シリーズです。


1973年に、アメリカドルを「基軸通貨」とする「固定相場制」が崩壊し、世界の通貨体制は「変動相場制」となりました。

「固定相場制」から「変動相場制」へ変わる過程では、アメリカが金本位制停止を宣言した「ニクソンショック」や、その後のアメリカドルの通貨切り下げ等、大きな混乱がありました。

この苦い経験から欧州は、アメリカドルだけに頼ることの危険性が認知しました。

しかし、アメリカの経済規模は圧倒的で、欧州の中にはアメリカの経済力に太刀打ちできる国はひとつもありません。

そこで、欧州全体で協力して一つの通貨を作れば、アメリカドルに対抗できる通貨になるのではないか、というアイデアが生まれました。アメリカドルに対抗できる通貨ができれば、それは「第二の基軸通貨」になれる可能性があります。

自分たちの地域に基軸通貨があれば、アメリカの都合でアメリカドルに問題が生じた場合でも、影響を受けることをさけることができます。


このアイデアから生まれたのが、現在欧州で使われている「ユーロ」です。

【解説】
 ユーロ誕生の背景
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「ユーロ」はアメリカドルに次ぐ「第二の基軸通貨」となり、欧州や世界の通貨体制を安定させることを目指して作られた。

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この「ユーロ」は一晩で作れる程簡単なことではありません。

欧州では、「ユーロ」を作るために、数年かけて準備をしました。

準備の第一段階として、1979年に、EMS(European Monetary System=欧州通貨制度)ができました。


この通貨制度下では、ドイツマルクが中心的な役割を担いました。ドイツマルクを「基軸通貨」として、欧州各国通貨との交換比率を固定する、「固定相場制」を採用しました。
(※実際には、ある程度の幅での交換比率の変動は認められました。)

1990年10月に、イギリスもEMSに参加しましたが、当時イギリス国内はインフレーションで景気がよくなかったため、あえて経済力の実態よりも、「ポンドの価値が高い交換比率」という条件でEMSに参加しました。

「インフレで景気が悪いこと」と、「ポンド高でのEMS参加」の間にはどのような関係があるのでしょうか。

当時イギリスは、年率9%ものインフレに苦しんでいました。インフレーションを抑えるためにイギリスの中央銀行は、1989年から1990年にかけて、公定歩合を15%まで上げていきました。

しかし、金利を上げたことで、余計に景気が悪化してしまい、イギリス経済は、インフレと景気悪化のダブルパンチに苦しんでいました。

このようにイギリス経済は不調だったため、イギリスの通貨ポンドは外国から人気がなく、本来はポンド安の状態でした。

そのような状態の時に、あえてポンド高でEMSに参加したのは理由があります。

一つは、ポンド高にすれば、外国の商品を安く輸入することができます。

安い輸入品がイギリス国内に入ってくれば、イギリスの物価を下げる方向に圧力が働き、インフレを抑えることができます。

インフレが落ち着けば、イギリスは金利を下げることができます。

金利を下げれば、イギリス国内のお金の回り方がスムーズになり、景気が回復します。

このように考え、イギリスは、EMSに参加する際に、あえて実力以上にポンド高の交換比率を条件としたのです。


【解説】
 イギリスが「ポンド高」でEMSに参加した理由
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イギリスは、国内のインフレを抑え、景気刺激策となる金利低下を実行しやすくするために、あえてポンド高の交換比率でEMSに参加した。
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1990年10月にイギリスがEMSに参加した後、思惑通りイギリスのインフレはだんだんと安定していきました。安い輸入品がイギリス国内に入ってきたことで、イギリスの物価上昇にブレーキがかかったのです。

しかし、イギリスの景気のほうは、思惑と異なり、回復することはできませんでした。


それは、物価が安定したにもかかわらず、イギリスは金利を下げることができなかったからです。

なぜ、イギリスはインフレが収まったのに、金利を下げることができなかったのでしょうか。

イギリスは、EMSに参加する国は、ドイツマルクとイギリスポンドの交換比率を一定範囲内で安定させることが条件となっています。

そうしないと、ドイツマルクを基軸通貨とする固定相場制を維持できないからです。

当時、ドイツは金利を上げる金融政策をとっていました。ドイツは1990年10月に東西ドイツ統合を果たしており、東ドイツ経済を発展させるために財政支出を拡大させ、マルクを大量に使用していたのです。マルクが大量に世間に出まわっていたために、マルクの価値が落ち、ドイツではインフレの状態になっていました。このインフレを抑えるために、ドイツでは高金利政策がとられていたのです。


【解説】
 東西ドイツ統合後のドイツの金利政策について
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1990年10月の東西ドイツ統合後、ドイツでは財政支出を拡大したためにインフレが発生していた。そして、インフレを抑えるために高金利政策がとられていた。
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ドイツが高金利政策をとっている一方で、イギリスが金利を下げたら、どうなるでしょうか。

人々は、「金利の低いイギリスポンドよりも、金利の高いドイツマルクを持っていた方が得だ。」と考えて、イギリスポンドを売り、ドイツマルクを買うことになります。

そうすると、ドイツマルク高、イギリスポンド安の圧力がかかります。EMSの条件に、「EMS参加国はドイツマルクとの交換比率を一定範囲内で安定させること」とい条件があります。

イギリスが金利を下げると、イギリスポンドのドイツマルクに対する価値が下がり、この条件を守れなくなるかもしれなかったのです。

そのため、イギリスは国内経済のためには金利を下げることが必要だったのに、金利を下げることができなかったのです。、


【解説】
 固定相場制のデメリットについて
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固定相場制では、他国と金融政策の足並みをそろえる必要があり、金融政策がやりにくい。
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【解説】
 EMS参加後も、イギリスの景気が回復しなかった理由(1)
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ドイツとの金利政策の足並みをそろえなければならなかったため、イギリスは金利を下げることができなかった。
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イギリスの景気が回復しなかったのには、もうひとつ理由があります。EMSに参加する際にポンド高の条件で参加したことが仇になったのです。

イギリス経済の実力以上のポンド高に設定したことによって、輸入品は安くなり、イギリス国内の輸入業者は安く輸入品を仕入れることができ、イギリス国内の物価も安定しました。

しかし一方で、イギリスの輸出品はポンド高によって、他の国からみると割高になってしまい、イギリスからの輸出が減少してしまったのです。

輸出が減少したことによって、イギリス経済の回復の足かせとなってしまったのです。



【解説】
 EMS参加後も、イギリスの景気が回復しなかった理由(2)
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EMSに参加する際にポンド高に設定したため、輸出が減少した。
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EMSに参加した後もイギリスの景気が回復しなかったため、イギリスへ投資していた資金を引き揚げる動きが相次ぎ、イギリスポンドの価値は下落していきました。

イギリスの「中央銀行」であるイングランド銀行(Bank of England=BoE)は、イギリスポンドを買い支えし、なんとかイギリスポンドの価値を守ろうとしました。そうしないと、「EMS参加国は自分の通貨のドイルマルクに対する価値を、一定範囲内におさめなければならない」というEMSの参加条件を破ってしまうことになるからです。

ここで、「イングランド銀行によるポンドの買い支え」とはどういうことなのかを分かりやすく説明します。

例えば、世の中に、「イギリスポンドを持っているけど、これをドイツマルクと交換したい」という人が100人いるとします。

一方で、「ドイツマルクを持っているけど、これをイギリスポンドに換えたい」という人は1人もいないとしましょう。

するとどういうことがおきるでしょうか。

イギリスポンドをドイツマルクを交換したい人は、

「固定相場制での交換比率は、1ポンド=1マルクだけど、1ポンド=0.9マルクでもいいから交換したい!」というように、自分に不利な条件でも良いから自分のポンドをマルクと交換したいと思うでしょう。

固定相場制での交換比率だったら、自分が持っている1ポンドでマルク紙幣が1枚もらえるのに、1枚未満のマルク紙幣と交換しようというのです。

このような人が100人いると、

「僕は1ポンドを0.8マルクと交換するぞ!」

「わたしはもっと安く、1ポンド0.5マルクでいいわ!!」

というように、交換に応じる人が現れるまでポンドの値下げ競争が続いてしまいます。

交換に応じる人が現れない場合は、ポンドを管理するイギリス銀行のイングランド銀行が「そんなに値切らなくても、1ポンドを固定相場制の範囲内の交換比率でドイツマルクと交換してあげますよ」と交換に応じることで、固定相場制で定めた交換比率でのポンドのマルクの交換をスムーズに実現してあげるのです。


【解説】
 固定相場制での中央銀行の役割について
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自分の国の通貨の人気が落ちて、固定相場制で定めた交換比率での通貨の交換ができなくなったとき、その国の中央銀行は、自分が交換に応じることで固定相場制でのスムーズな交換を実現しなければならない。
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しかし、イングランド銀行がいつまでもポンドを買い支えることはできません。

イングランド銀行が交換に応じることができるのは、イングランド銀行の中にあるドイツマルクがなくなってしまうまでなのです。

「僕のポンドをマルクと交換してくれ!」という人が現れるたびに、イングランド銀行は自分が持っているマルクをその人に渡し、ポンドを受け取ります。

これを繰り返していると、イングランド銀行の中には、ポンドがどんどん貯まる一方、マルクがどんどんなくなってしまいます。

そしてイングランド銀行の内部のマルクがなくなってしまった時、イングランド銀行はポンドとマルクの交換に応じることができなくなるのです。


【解説】
 下落する自国通貨を守るために中央銀行がすることについて
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下落している通貨の価値を安定させるためには、中央銀行は、自分の通貨を買って中央銀行内部にためこみ、外貨を手放さなければならない。
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【解説】
 中央銀行が自国通貨を買い支えることができる限度について
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中央銀行が保有する外貨(この場合ドイツマルク)がなくなってしまったら、中央銀行はそれ以上自国通貨(この場合イギリスポンド)の買い支えをすることができない。
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そして、実際に、「イギリスはポンドを買い支えることはできないだろう。イングランド銀行の中のドイツマルクがなくなれば買い支えることができなくなって、その後はイギリスポンドは買い手がなくなって暴落するだろう。」と考える人がいました。

有名なジョージ・ソロス氏に代表される「ヘッジファンド」です。

ジョージ・ソロス氏をはじめとするヘッジファンドは、ポンドの暴落を予想して、イギリスポンドを「空売り」しました。

イングランド銀行も必死で買い支えたのですが、努力もむなしく、1992年9月、とうとうイギリスポンドの価値は、EMSで定める対ドイツマルク交換比率の下限まで落ちてしまったのです。

このままではイギリスはEMSのルールを破ることになってしまいます。

そこでイギリスは、最後の賭けに出ました。


1992年9月16日の水曜日、午前11時にイングランド銀行は、「政策金利を10%から12%に引き上げる」、と発表したのです。

なぜ、イングランド銀行は、政策金利を上げることがヘッジファンド対策となりイギリスポンドの下落を抑えることができる、と考えたのでしょうか。

金利を上げると、二つの効果が期待できるのです。

まず一つ目は、イギリスポンドの金利が上がることで、ポンドの「金融商品」としての魅力が上がり、イギリスポンドの人気を上げることができます。ドイツマルク等の他国の通貨を持っている人が、高金利を目当てにイギリスポンドに交換することを狙ったのです。
これは、身近な例でいうと、金利の高い定期預金を売り出した銀行があった場合、自分が別の銀行に預けている金利の低い預金を引き出して、金利の高い銀行に預けるとの同じ行為です。


【解説】
 金利が為替交換比率に与える影響について(1)
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ある国の金利が上昇すると、投資家にとって高い金利が魅力的になり、その国の通貨の人気が上がる。その結果、その国の通貨の市場価値を上げる要因となる。
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そして、政策金利を上げることの二つ目の効果は、ヘッジファンドがイギリスポンドを空売りするためにかかる費用を上げることです。

分かりやすく説明します。

ヘッジファンドが、イギリスポンドを空売りするためには、次のような手順を取ります。
1.まず、イギリスポンドを銀行から借りる。

2.借りて手に入れたイギリスポンドを為替市場でドイツマルクと交換する(イギリスポンドを売り、ドイツマルクを買う)

3.ヘッジファンドは、イギリスポンドを借りている間は、定期的に銀行へ利子を払う。
4.イギリスポンドのドイツマルクに対する価値が下落したら、ヘッジファンドは保有するドイツマルクをイギリスポンドと交換する。

5.ヘッジファンドは、銀行へイギリスポンドを利子をつけて返済する。


このような手順を踏むため、イギリスポンドの金利が上昇したら、イギリスポンドを借りた際に支払わないといけない利子が増えてしまうことになります。ヘッジファンドの思惑通りイギリスポンドが下落して儲けることができたとしても、支払う利子が増えた分自分の儲けは減ってしまうのです。

さらに、ヘッジファンドは空売りしている間は、銀行へイギリスポンドを借りた銀行へ利子を払わなければなりません。いつまでもポンドを借りて空売りしたままだと、いつまでも利子を支払い続けることになり、儲けるよりも先に自分のお金が減り続けてしまいます。

こうして、ヘッジファンドがイギリスポンドの空売りを続けることが難しくなるのです。そして、ヘッジファンドがイギリスポンドの空売りをやめた場合、そのヘッジファンドは手元にあるドイツマルクを売り、イギリスポンドを買い戻します。こうしてイギリスポンドの買い手が増え、イギリスポンドのドイツマルクに対する価値が上昇する要因となるのです。


【解説】
 金利が為替交換比率に与える影響について(2)
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ある国の金利が上がると、ヘッジファンド等がその国の通貨を空売りするために借りたお金に対する利子が高くなり、ヘッジファンド等は空売りがやりにくくなる。
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しかし、一方で自分の通貨の価値を守るために金利を上げることは、危険を伴います。

金利が上がると、イギリス国内の景気を悪化させてしまう要因になるのです。

国内の金利が上がると、「銀行からお金を借りて商売をしよう」と思う会社が減ってしまいます。

また、「銀行から住宅ローンを借りて家を買おう」「カーローンを組んで車を買おう」という人も減ってしまいます。人々が物を買うことを控えると、会社の業績は悪くなってしまいます。会社の業績が悪くなると、従業員へ支払う給料やボーナスを減らさないといけなくなります。収入が減った従業員は、使えるお金が減ってしまい、さらに将来への不安感からお金を使わずに貯金するようになります。すると物がますます売れなくなり、会社の業績が落ちてしまいます。

このような悪循環によってイギリス国内のお金の回り方が悪くなり、景気が悪化してしまうのです。


【解説】

 金利を上げると国内景気が悪くなる理由
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金利が上がると、お金を借りて商売をしたり、お金を借りて物を買おうという意欲が落ちてしまう。すると会社の売り上げが減ってしまい、従業員への報酬を減らさないといけなくなる。収入が減った従業員はお金を使わなくなり、それがますます会社の売り上げ減につながってしまう。この悪循環によって、景気が悪くなる。
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イギリスは、当時すでに景気が悪かったにもかかわらず、国内景気をさらに悪化させるリスクを冒してまで金利を上げる決断をしたのです。

しかし、残念ながら、為替市場は全く反応を見せませんでした。

すると、驚いたことに、同じ日の午後2時に、イングランド銀行は、「政策金利を15%に引き上げる」と発表しました。

同じ日のうちに、2度も政策金利を上げることは、極めて異例なことです。

いかにイギリスが切羽詰まった状況にあったかが分かります。

結局、イギリスポンドの金利が上がったことによる魅力よりも、「イギリスはもう後がないんだな。だから1日に2度も金利を上げるなんていう異常なことをやっているんだな。」という疑心暗鬼の方が勝ってしまい。イギリスポンドの人気は回復しませんでした。

ヘッジファンドは、この異常な利上げ行為を見て、「イギリスはもうこれ以上ポンドを守ることはできない」と判断し、さらにイギリスポンドの空売りを仕掛けました。

結局、イギリスはポンドの価値を守ることをあきらめざるを得なくなりました。

2度の利上げを行ったのと同じ日の1992年9月16日水曜日午後4時、イギリスはEMSからの脱退を発表しました。

こうしてイギリスポンドはドイツマルクに対する固定相場制から、変動相場制に変わりました。

イギリスポンドは大暴落し、イギリスポンドを空売りしていたヘッジファンドは大儲けしたのです。

ジョージ・ソロス氏は、このポンド急落に賭けてポンドを空売りしたことによって、10億ドル(1ドル=100円とすると、1000億円!)儲けたといわれています。

この1992年9月16日水曜日のことを、イギリスにとっては悪夢のような一日であったことから、「ブラック・ウェンズデー(暗黒の水曜日)」とよびます。


【解説】

 ブラックウェンズデーについて
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1992年9月16日水曜日、イギリスポンドは、ジョージ・ソロス氏をはじめとするヘッジファンドの空売り等によってEMS参加の条件とする水準より下に下落した。このことにより、イギリスはEMSを脱退した。
この出来事をのことをブラック・ウェンズデー(暗黒の水曜日)とよぶ。
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このように、固定相場制では、問題なく為替相場が安定しているときは良いのですが、いったんタガが狂い始めると、固定相場での為替レートを維持しようと無理をしたあげく、結局は大きく為替相場が変動してしまうことがあるのです。

ここで、「第二次大戦終戦、ブレトンウッズ体制」の記事で紹介した【解説】を復習のためにもう一度紹介します。


【解説】

 固定相場制と変動相場制の比較
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「固定相場制」
・通貨の交換比率が固定されている
・貿易などの取引が安定する
・ある日突然、通貨交換比率が大きく変わる場合がある

「変動相場制」
・通貨の交換比率が固定されておらず、日々変動する
・貿易などの取引が安定しない
・通貨交換比率は毎日少しずつ変動し、急に大幅に変わるケースは少ない
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後日談

ブラックウェンズデー以降のイギリスはどうなったのでしょうか。

実は、この日以降、イギリス経済は回復していったのです。

ブラックウェンズデー以後、イギリスポンドの価値は大きく下落しました。ポンドの価値が落ちたために、イギリスで作っている製品の値段が、外国の製品と比べて相対的に安くなったため、イギリスから他の国への輸出が増加したのです。輸出の増加でイギリス経済は潤うことができました。

もう一つ、イギリス経済を回復させた要因があります。

イギリスは政策金利を下げたのです。

EMSに参加している間は、イギリスポンドとドイツマルクの交換比率を一定に保つ必要がありました。ドイツマルクは金利を上げていたため、イギリスポンドとドイツマルクの人気の差が安定するように、イギリスも金利を下げずに維持しておく必要がありました。

しかし、EMSを脱退し、変動相場制に変えた後は、イギリスは自国の実情だけを考えて金利を下げることができたのです。

金利を大幅に下げたことによって、イギリス国内のお金の周りが良くなり、景気が回復していきました。

このように、固定相場制では自分の国の金融政策を柔軟に行うことができません。他の国と金融政策の足並みを揃え、通貨の人気が偏らないようにしなければならないからです。
しかし、変動相場制では、固定相場制の時よりもずっと金融政策を柔軟に実行することができます。

【解説】

 固定相場制・変動相場制と金融政策の関係について
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固定相場制では、為替レートを一定に保つために、他の国と金融政策の足並みをそろえなければならない。

変動相場制では、為替レートを一定に保つ必要はないため、固定相場制よりも自由に金融政策を行うことができる。
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「ポンド危機」から何を学ぶべきか

私たちは、この「ポンド危機」から何を学ぶことができるでしょうか。

イギリスは、経済の実力以上に高い価値でイギリスポンドをドイツマルクと固定しようとしました。イギリス国内のインフレを抑えるためです。

しかし結局、このように不自然な水準の為替レートを無理に維持しようとしている所をヘッジファンドに付け込まれ、空売りという攻撃を受けてしまいました。

そして、為替レートを維持することができず、ブラック・ウェンズデーに突然イギリスポンドは大暴落しました。

金儲けをするために、イギリス国内の人々を大混乱に陥れたヘッジファンドを、決して褒めるわけにはいかないでしょう。

しかし、国の力で、不自然な為替レートを無理矢理維持しようとしていたことが、そもそも問題だったのです。

国が無理な状態を維持しようとする試みは、当時のイギリスだけがやったことではありません。

その後もたびたびありましたし、これからも「不自然な状態を国が無理に維持しようとする」ことは起こりえます。

このような力技は結局長続きせず、ある日突然大混乱とともに、大きく無理な状態から自然な状態へあっという間に引き戻されてしまうのです。

私たちは、日々のニュースを見て、「あ、この国はいま不自然な状態を無理やり維持しようとしているな。これは長続きしないな。」と気付く洞察力を身につけたいものです。

【教訓】
 ポンド危機が教えてくれる教訓
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為替レートであれ何であれ、不自然な状態を無理矢理維持しようとしても、長続きしない。かえって、ある日突然、自然な状態に戻ってしまうことで、大混乱が発生する。
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posted by Tabbycat at 07:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | 社会・経済を知る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
面白いです。1992年 ポンド下落 で検索したらヒットしました。ジョージソロスの漫画を読んでもわからなかった理屈が納得いきました。有難うございました。
Posted by 松林 理 at 2015年08月03日 16:44
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