2012年03月28日

選択肢を残すとは

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私は、選択の自由が与えられている状態が、人間にとっての幸福の条件だと考えていました。

住む場所や着る服、食べるもの、娯楽、仕事などを、経済面などでの制約はあるでしょうが、その制約の範囲内で自分で決める自由がなければ、私は幸福感をえることができない、というのが以前の私の考え方でした。

そいういった意味で、政治哲学の中では、個人の自由と自己責任を極限まで尊重するリバタリアニズムに共感していました。リバタリアニズムは、人に迷惑をかけず、結果に自分で責任を持つのであれば、人は自由に行動してよい、という考え方です(厳密には間違ってるかもしれませんが、私の理解ということで・・・)。

しかし、2011年3月の東日本大震災ではリバタリアニズム支持の考えが大きく揺らぎました。東日本大震災では、選択肢を一瞬で奪われた人々が沢山います。それは彼らの自己責任ではありません。災害がひどかった場所にたまたま住んでいたというだけです。そのような不幸な人々にも選択肢を与えられる社会でなければならない、と考えるようになりました。

どうすれば、大震災にあった人々にが選択肢を持ち続けられるでしょうか。被害にあった後に十分な支援を提供することも必要ですが、それは最低限の生活環境を提供するにすぎません。情報と選択肢を持った人間としての尊厳が十分に満たされているとは思えません。

かといって、高税率高福祉国家を支持する気にもなれません。このタイプ国家には、人々から自由と意欲を奪い、福祉にただ乗りするフリーライダーを利するという欠点があるからです。

基本原則として自由と自己責任を尊重する社会。福祉へのただ乗りを許さない社会。不運によって助けを必要とする人をきちんと助ける社会。このような社会が理想的だと思います。

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posted by Tabbycat at 22:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・経済を知る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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